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魚を釣っていると良く「釣れますか?」等と聞かれることがある。江戸の川柳に「釣れますか?などと文王そばにより」と云うのがある。春秋戦国の時代の周の文王が、釣れる筈もない直鈎(すぐばり)で釣り糸を垂れていた太公望をスカートする時に声を掛けた故事に由来している。
ところで「釣れますか?」と聞かれて、そう簡単に「釣れますよ!」と云ってくれる人は少ない。余程親しい人ならともかく、そう簡単に釣れている等とは教えたがらないのが、釣り人の心理なのである。それは自分の釣り場を大勢の釣り人に荒らされては困るからでもある。だから「さっぱり駄目ですネ!」、「釣れませんネ!」がせいぜいである。尤も勝手にクーラーを開けて見る非常識な輩も居無い訳でもないが・・・・。
大半はその言葉に納得してしばらく見物し、釣れなければ納得して帰って行く。そんな時自分は魚が散らぬように、わざと空合わせをして釣れない仕草を繰り返えしている事が多い。見物に来て釣れている事を大勢に報告されては困るからでもある。釣れた翌日から、大勢の釣り人が押し寄せて来て自分が釣るに釣れなくなった事が何度もあるからで、それが自衛策のひとつとなっているのである。それが逆の立場で考えれば同じ心理なのだ。
だから自分の場合、見知らぬ釣り人に聴く時は「釣れますか?」と聞くよりも警戒心を解く為に「当りがありますかネェ?」と聞く事が多い。「釣れますか?」と聞かれるよりも、その方が、抵抗感が少ないとおもっているからでもある。釣り人には結構へそ曲りが多いから、ダイレクトに聞くよりも、漠然と聞いた方が案外素直に答えてくれる事が多い。
当りがある=釣れる事とは腕の問題もあり、必ずしも一致はしない。当りがあるかどうかから話題を持って行き、それがきっかけで釣り場の状況の把握が出来る事が結構多いのものだ。しばらくじっと釣を見ていれば釣り人の腕も分かるし、本命の当たりが出ているか、どうかなども多少の釣慣れした者であれば判断出来る。それに話に花が咲けば、自然にクーラーの中身も拝むことも出来るというものである。同じ釣をする者であれば相手が初心者なのか、ベテランなのか、はたまた同じ場所を通ってくる常連サンなのかが把握出来る筈でもある。大勢の釣り人の中から聞く相手を選別するのも、ひとつの方法でもある。
自分で釣もせずに現地の情報を手に入れると云う事は、そんなに簡単なものではない。相手を上手に煽てる話術のひとつも身に付けておかねばならぬ。情報料をお金で買う時代、生の情報が手っ取り早く簡単に手に入れるのであるから、一段も二段も遜って相手の下手に出て上手に話をしなくては中々貴重な情報は得られない。
上手な釣り人はしばらく釣を拝見していれば釣場の状況の把握も出来る。根がかりの場所や当りの出る場所の確認をしっかりと覚えて来る事だ。次の釣行時にそれが必ず生きてくることは間違いない。とにかく釣れている時の潮の流れ、濁り具合等々の情報を一杯仕入れて置く事が大切である。場数を踏んで自分のHGを作り「たまたま釣れた」と「狙って釣った」との違いが、はっきり分かる釣をしたいものだと心がけている。
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